「ちっちゃいこえ」アーサー・ビナードさん講演会に参加して
こんにちは。
ベビーシッター・個別訪問型保育研究家の参納(さんのう)です。
昨日は、紙芝居「ちっちゃいこえ」の脚本を書かれたアーサー・ビナードさんの講演会に参加してきました!
↑昨日いただいたリーフレット
紙芝居「ちっちゃいこえ」は、丸木さんご夫妻による「原爆の図」から絵を選んで切り取り、さらに工夫されて作られたものです。
そう、戦争についての紙芝居なのです。
この講演では、前半は、紙芝居の魅力。後半は、この作品の作成秘話などを伺えました。
紙芝居の魅力
紙芝居は、日本独自のもの
紙芝居って、日本独自のものだそうです。
アーサー・ビナードさんが、来日され、23歳で、初めて、紙芝居に出逢われたそうです。
私たちにとって、紙芝居は、絵本と同様、子どもの頃に身近なものでしたよね。
ですので、日本だけのものだと知って、びっくりしました!
紙芝居の歴史
1931年~飴売り行商の手段だったそうです。
そして、1930年代は、国策紙芝居といって、国策を広めるために、紙芝居が活躍したそうです。
戦後などは、街頭紙芝居が人気となったそうです。
ちなみに、ウィキぺディアでは、さらに詳しい源流などについても記載がありました。
紙芝居の魅力
保育園勤務時代には、紙芝居を演じる機会もありましたが、マンツーマンのベビーシッターをするなかでは、ほぼ演じる機会がなくなりました。
ですので、今回の講演会で久しぶりに紙芝居に触れた感じです。
なんと、アーサー・ビナードさんが、「ちっちゃいこえ」以外にも2作品読んでくださいました。
「あひるのおうさま」
フランスの昔話だそうです。
王様が、あひるにお金を借りたり、あひるが、キツネ、川、ハチを飲み込んだり・・・
なんともハチャメチャなお話です。
しかし、アーサー・ビナードさんは、このハチャメチャなところが、紙芝居の魅力であるとおっしゃっていました。
「たべられた やまんば」
「3枚のお札」のお話です。
これも、まめになったやまんばを食べちゃうお話。
アーサー・ビナードさんは、常識を超えた面白さがある、とおっしゃっていました。
絵と演者がいること
紙芝居は、絵があり、演じる演者がいます。
読むのとは異なり、演じるわけですから、演じ手の雰囲気が伝わってきます。
そして、聴いている人たちとの空気感とまざりあって、一つの作品となっていくわけです。
そう思うと、なんとも奥深いですよね。
ですが、紙芝居は、誰でもが演じることができるように作られているそうです。
紙芝居「ちっちゃいこえ」の誕生秘話
アーサー・ビナードさんは、この紙芝居の前に絵本を作られていました。
これは、原爆資料館のものをカタリベにして、書かれた写真絵本です。
これを書かれているときに、「原爆の図」に出逢われ、モチーフに話を作っていくことができるなら!と紙芝居にすることになったそうです。
「ちっちゃいこえ」のあらすじ
猫が語ります。
飼い主のこと。細胞のこと。
そして、8月6日に原爆が落とされたこと。
落とされたあと、細胞が、グレーになり・・・命を奪ってしまった。
でも、今、みんなの細胞は、動いている・・・
そんな命の尊さを細胞というものを通して伝えてくれています。
「ちっちゃいこえ」の子守唄のモデル
紙芝居の中で、じいちゃんが子守唄を歌います。
ねんねしたら、お土産買ってもらえるよ、という内容なのですが、そのお土産が、
なんと、機関銃と鉄兜なんです。
戦争時の生活を彷彿とさせるものですよね。
これ、実は、モデルとなった子守唄があるんです。
この唄のなかに、「鉄の兜と機関銃」という言葉が出てくるんです。
なんとも、すごい時代だったんだね、と切なくなりました。
戦争をどう伝えていくか
私自身、戦争を知りません。
ですが、戦争を二度としてはならないし、歴史を次の世代に伝えていくことは、とても大切だと思います。
私が、戦争についての記憶があるのは、小学生のとき、夏に学校で見た戦争映画。
主人公が、亡くなるシーン。今でも、強烈に脳裏に焼き付いています。
怖い、そんな想いが強く刻まれ、戦争について触れたくない、と思うようになりました。
そんな中、「この世界の片隅で」を見たとき、今と同じように、戦争中でも人々の生活があったことを知りました。
大変な日々を明るく生きる人々。
命、生きるということの大切さを実感できた気がしました。
そして、戦争について、少しづつですが、知ろう、と思えるようになってきました。
戦争のことを伝えるのは、恐怖心を植え付けることではなく、命の大切さ、尊さを伝え、戦争について、自分事として、考えていけるようにすることだと思うのです。
私は、ベビーシッターとして、子どもたちに、どう伝えていけるのか?
これからも、考えていきたいと思います。