私が「ベビーシッター」として誇りを持てるようになった理由
私の保育人生の中で、一番長い職業が、「ベビーシッター」です。
今は、「ベビーシッター・個別訪問型保育研究家」と名乗っているくらいですので、以前は、ベビーシッターということを恥ずかしく思っているくらいでした。
なぜなら、保育の仕事の中でも低い仕事だと思っていたからです。
仕事に貴賎はないといいますが、給料面から考えても、それだけで食べていけない仕事は、どうなのだろうか?と思っていました。
また、様々なネガティブなイメージに振り回されていたんです。
例えば、アメリカの学生バイトのような単に子どもをみてるだけ、というイメージや、(事件などの影響で)家に入られるのはイヤ、怖いなどというイメージなど。
しかし、今は、ベビーシッターという仕事に誇りを持っています。
そう思えるようになったのは、信頼してくださる親御さん、お子さんたちがいたからです。
個人でシッターを始めたところから、口コミだけで今にいたります。
一度は、辞めて実家に帰ろうか、と悩んだこともありましたが、様々な人との出会いのおかげで今があります。
あるとき、私が誇りを持った大きな出来事がありました。
ベビーシッターならではのスキルがあるのではないか、と気づいた転機になった出来事です。
立場が異なる3名で、保育の勉強会をやっていたときの話です。
保育園で働く保育士、ベビーシッターを育成する講師(幼稚園ママ)、そしてベビーシッターの私。
「やる気」について考えを発表する、というとき、なんとも不思議な現象が起こりました。
同じテーマなのに、平行線のような感覚です。
これは、子どものやる気、どういう場面で欲しいと思っているか(言い返すと、問題だと思っている場面で、いかに子どもたちにやってもらい回避するか)に基づいて発表していたからです。
ちなみに私は、生きるため(何かをチャレンジするため)の意欲をテーマにした「やる気」について発表しました。
保育士の友人は、集団保育ならではの「やる気」でした。
私にとって、集団で必要なやる気は、必要ないものでした。なぜなら、マンツーマンのベビーシッターだからです。
子どもに集団に合わせてもらう必要もないし、スムーズに保育するために子どもたちに協力してもらうこともほとんど必要ないからです。
例えば、お散歩前のトイレ。
保育園の場合は、必ず行ってもらわなければならないわけです。途中で、おもらしして、着替えることが発生する、トイレに連れて行かなくてはならないとなると、その子に手をとられ、他の子どもたちの安全確保が難しくなるからです。そのようなシチュエーションは、避けたいと思うのです。
ですが、シッターの場合、いろいろ誘っても、「行きたくない」と言うなら、行かない、ということもできるのです。
なぜなら、トイレの場所がわかっていれば、いつでもトイレに行くことができます。たとえ、おもらししても、ゆっくり対応ができます。
このように、保育形態によって、問題だと感じる子どもの行動が異なるのです。
私の場合、基本的にほぼないです。
命に関わる危険なこと、人に危害を加えること以外は、問題だと感じません。
子どもをコントロールするのではなく、環境をコントロールすることができるからです。
これは、マンツーマンならではです。
マンツーマンって、やりやすい!と思われたかもしれません。
ですが、ある意味、集団の方が、子どもと関わりやすいこともあります。
例えば、給食を食べたがらない場合、他の子どもへの「○○ちゃん、ピカピカ!(全部食べたこと)かっこいいー」という言葉に反応して、食べ始めたりします。友達のことを見ながら、頑張ろうとするのです。
その点、シッターは、何かをやろう!とする「やる気」、興味を示したり、試してみたりすることを促すことが難しいです。
人は、やる気を持って、チャレンジするとき、「憧れ」が必要になるからです。
お友達のようにかっこよく見せたい、そんな気持ちになりやすいのが保育園ですが、シッターは、「すごいね!ママに見せようね。話そうね」などがモチベーションになることが多いです。
このように、集団とマンツーマンの保育では、求められるスキルが異なるということに気づきました。
ベビーシッターって、独自の高度な技術を必要としてるよね。そんな気持ちにもなったのです。
どの職業がいい、悪いと優劣はありませんが、必要なスキルが異なるということです。
実は、このこと、あまり気づかれていないと思います。
シッターについての情報が少なすぎるため、基準は、国家資格である保育士です。
あるとき、クライアントの親御さんから、「子どもとの距離感が違いますね。」と言われました。
どういう意味だろう?と思ったのですが、こういう意味でした。
子育て経験のみの方は、近すぎる(とにかく可愛がるおばあちゃん的感覚)
保育士経験のみの方は、遠すぎる。(俯瞰して、周りをみる癖がついているからでしょう)
そして、私は、その間のいい距離感と言われました。
つまり「それがすばらしい!」とのこと。
自分では気付かなかったですが、親でも先生でもないからこその距離感なのかもしれません。
シッターは、保育と育児の間のような感覚なのかもしれません。
シッター独自のスキルも、保育と育児を融合したようなものかもしれない!ということで、保育士のことだけでは足らず、育児書も読みます。
はたまた自己啓発、心理学、脳科学の勉強もします。
(私が幅広く本を読んだり、セミナーに出たりするのは、これが理由です)
とにかく、シッターというのは、未開の地であり、奥深いものなんです。
そのことから、誇りを持って「ベビーシッター」と名乗れるようになりました。
とはいえ、このネーミングではない、新たな名前がいいな、とも思ったりします。
ですので、「ベビーシッター研究家」ではなく、「ベビーシッター・個別訪問型保育研究家」と長くなったのです。
今後も、私のベビーシッター(個別訪問型保育)の研究は続きます。